背中

一瞬の隙を突かれた。 ステップを踏んでいた足が揃ってしまうという僅かなタイミングで、マイは右ストレートを綺麗に貰ってしまった。 強烈な衝撃に身体を落としそうになるが、体勢を崩しながらもダウンを取られまいと必死に身体を起こした。 「バシッ!!・・・ガツッ!!・・・」 かすんだ視界。 赤いグローブが次々と飛んでくるのがおぼろげに映る。 体勢を崩したままのマイには避けきれず、いいように貰ってしまう。 「ドスゥッ!!」 遠くなった意識の海を半ば気持ち良く漂っていた所に感じる、腹部の違和感。 次いで湧き上がる鈍い苦しみに、弛緩していた意識が戻り始める。 かすみが取れた視界に飛び込んできたのは青色の髪。 白い肌。 そして一面の白。 「ダウン!!」 うつ伏せに倒れた衝撃で完全に覚醒するマイ。 吐き気や痛み、苦しみを堪えて身体を起こそうとした。 視線の先にはマイに背を向け、トップロープに手をついて俯く相手の姿があった。 際どいリンコスに包まれた、その白い背中を見つめる。 幾度となく対戦し、こうしてリングに寝そべりながら幾度となく眺めた背中。 いつも手が届きそうで届かない。 「スリー!・・・フォー!・・・」 片膝をつき、なるべく腹筋に力を入れずに立ち上がろうと体勢を整える。 マイのお株を奪う渾身のボディ。 悔しさよりも驚嘆がマイの心を掴んで放さない。 ボディの研究を続けているマイだからこそ、あんなに強烈なボディを放てる元王者の実力に素直に憧れた。 「シックス!・・・セブン!・・・」 いや、憧れているだけじゃダメなんだ。 あの人は私をライバルだと言ってくれた。 けど、現実はこの様。 あの人はどんどんと先を行っている。 早くあの人の背中に追い付いて、あの肩を掴んで、振り向かせなくちゃ。 ちゃんとライバルとして向き合える力を見せなくちゃ。 そうしないといつまで経っても、あの時みたいな本当に楽しいと思えるボクシングが出来ない。 「白石選手、出来るか?」 「はい」 レフェリーの問いかけに短く応えるマイ。 視線を戻すと、顔を上げて振り向く相手の姿が見えた。 形の良い唇に笑みをたたえ、こちらを見ている。 「ファイト!」 ゆっくりと向かってくる相手。 笑みを捨て、厳しい表情で向かって来る。 その表情をしっかりと見据えていたが、マイの頭の中には相手の背中がこびり付いて離れなかった。 今が追いつくチャンス。 今が力を見せるチャンス。 頭の中から離れないその背中を振り払うべく、マイは構えて一歩を踏み出した。 (終)

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